setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

瀬戸第一尋常小学校(陶原小学校)その1

 今村の歴史を学びに效範公民館に。郷土史に関心のある方ばかり集まった。瀬戸市立效範小学校の話題になった。明治5年の学制発布でこの地方でも学校を作ることになる。今村には效範学校が明治6年に慶昌院につくられる。今の效範小学校だ。效範小学校が生まれたのは瀬戸市の小学校の中では古いのだ。5月9日にもうすぐ151歳になる。瀬戸村には宝泉寺に陶原学校が明治6年9月にできる。

 9月12日にできた陶原学校は、東春日井郡瀬戸第一尋常小学校と呼ばれる。第1番目の小学校だ。瀬戸村・町時代の1番目だ。2番めが深川、3番目が祖母懐、4番目が道泉小。ここまでが番号で呼ばれた学校だという。その後にできた古瀬戸小学校は番号がなかったようだ。

 合併前の瀬戸で一番古いのは陶原小学校になるが、現在の瀬戸市全体の小学校の中で一番古いのは水野小学校らしい。2番目が效範小学校だ。陶原小学校は4番目らしい。こんな古い時代の話はさすがに自分ではわからない。なんせ、明治生れの男性は日本には一人もいなくなった。女性も少ないだろう。今年は昭和100年になる。きんさんぎんさんの双子姉妹も覚えている人は少なくなっているんだろう。

 写真の陶原小学校は昭和になってからできた。この後今の位置になるが、それ以前にどこにあったのか教えてもらいびっくりした。さすが瀬戸生の瀬戸育ちの郷土史研究家だ。 年季が違うと言われてしまう。