洞の道を歩いた。洞の本業窯だ。8代目半次郎に襲名した若者が、代々継いできた文化財の本業窯を守るため新しい試みをしていた。
瀬戸民藝館と言う名になり、先代たちが残した陶芸を次代に繋げようと活動していた。6年以上、準備して昨年から本格稼働した。まだまだ名前は浸透したいない。市や県、国の援助も無さそうだ。
4連房の巨大な本業窯、元はさらに巨大な13連房の窯だった。昭和20年代に解体しそれを二つの4連房の窯にした。50年代までは火が入れられていた。どちらもその後は使われなくなった。瀬戸の代表的な窯だった本業窯。
13連房の巨大窯は民藝館の北の山の斜面にあったようだ。そこは窯跡があったことがわかるように整地され『洞 窯跡の杜』として保存されている。窯垣の小径側からも山に登れるようになっている。
最近、文化財を見るために歩く。瀬戸百景の看板も多く建てられている。見学をするごとに、市や観光協会がどれだけ支援をしているんだろうか疑問になることが増えた。
文化財を所有されている個人や地域にに全てを任せてしまっている。本業窯や王子窯のモロなど文化財が大きくなればなるほど手がかかる。修理費もばかにならない。観光客が来れば説明もしなければならない。
文化財を指定したのに、受けた方はきっと法律や条例に縛り付けられている。壊すことも外観を換えることもできない。現状維持をするのにもお金はかかる。それすらあまり補償されないようだ。