setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言365 しなの祇園祭と明眸

 品野のバロー入り口だ。赤い社が津島社で祇園祭御神体となる。お祭り前に協賛会の方が津島神社から御札をいただいてくる。下品野村の中心だ。クスノキの左側に常夜灯がある。右手は柴田酒造があった。

 今も元の事務所がそのままに残っている。品野全体の経済の大きな存在だった。中馬街道の馬子たちにとって里に下りてきてやっとホッとできる位置にある街場だったはず。

 柴田酒造は寛延元年(1748年)といわれ、年間700〜800石ほどの生産量があった。地方の造り酒屋としては大きな規模だった。品野において柴田家は下品野村の庄屋としても実力を発揮していた。3代目から7代目までは代々『要助』の名を継いでいた。明治になり村長や町長としても活躍した。

 品野の水は軟水で、柔らかい味の日本酒がつくられ、多くの人に好まれた。杜氏は越後の国から、秋にやってきて春先までの半年間酒作りに専念した。明眸の味は徒弟制度の元、代々厳しく受け継がれていく。

 残念ながら柴田酒造はもうない。残っているのはこの事務所だけだ。味は田口の関谷酒造(蓬莱泉)に継がれていった。柴田酒造の杜氏さんたちは稲武にある工場で活躍されているようだ。明眸という銘柄の日本酒は、稲武の工場で頑張っている。

 品野の祇園祭には、明眸が振る舞われたはず。