setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言369 瀬戸川に昔ウナギがいた

 瀬戸の空は黒く、瀬戸川はいつも白く濁っていた。小さなカラスがチュンチュン鳴きながら飛んでいた。洗濯物も外には干せない。それが瀬戸の当たり前だと先輩に教えられた。

 自分が昭和53年に瀬戸に来たころも、瀬戸川は白い川だった。上流の品野にかけて粘土屋・珪砂屋がいくつもあり、ダンプが土を運び、トラックが成形された粘土を工場に運ぶ。道路は舗装されていても土だらけ。雨が降った日は我が愛車は泥だらけになる。 自分にとって豊川が川で、瀬戸川は川とは思わなかった。排水路で白くて未来も白いんだろうと考えていた。

 

 それが瀬戸川だ。 でも、昔は瀬戸川でウナギが採れた。

 嘘みたいなことだが本当だ。瀬戸には明治、大正時代からできた有名な鰻屋がある。窯焼きが体力勝負の仕事だから必要だった。昔は採って食べていたのだ。 瀬戸の過去の水害の記録を調べていくうちに、瀬戸川にウナギがいたことがわかった。

 瀬戸村の老人に話を聞いた事がある。白く濁っている瀬戸川は、昭和に入ってからだった(酷くなったのは戦後)。それまでは子どもたちも含め瀬戸の人は、当たり前のように仕掛けを川に沈め、ウナギを採っていたようだ。鰻屋は、大正末までは、罠を仕掛け、鰻屋は瀬戸川に籠を入れて生け簀代わりにしていた店もあった。

 自分の知っている瀬戸川とは違っている。瀬戸川が粘土で濁っていた期間は昭和のだけだった。平成になる頃はコイが游ぐようになった。今は、カワセミも常に飛んでいる。

 ウナギやアユが住める川に戻るまでにはもう少しかかりそうだ。

 今、姉から電話があった。小さなカラスがチュンチュンが分からなかったようだ。瀬戸では、ススでスズメも真っ黒になる。瀬戸でしか分からない。言葉足らずでした。