公民館で『警固まつりと菱野のおでく』についての話を専門家から聞くことができた。菱野のおでくの話は、「せとの昔ばなし」に『おでく』として伝えられていた。
400年ほど前(16世紀後半)、菱野村であったお話です。そのころは戦国時代といって日本のあちこちで戦(いくさ)がおこなわれていました。
長久手の近くでは、豊臣方と徳川方がにらみ合っていて、今にもいくさが始まろうとしていました。豊臣方の池田信輝は、どうしてもこの戦に勝たなければならないと思っていました。
ある日信輝は、家来の梶田甚五郎という若い侍を呼び寄せ、この戦に勝つことができるように猿投神社へお参りに行くように言いつけたのです。大事な用を言いつけられた甚五郎は、馬に乗り猿投神社に向かいました。
戦が多かったこの頃のことです。途中の菱野村でも庄屋から落武者を見たら殺してしまえというお触れが出ていました。それとも知らず、その村にさしかかっていた甚五郎は、待ち伏せていた村人たちに落武者と間違えられて殺されてしまいました。
その夏のことです。
「困ったこっちゃ、こんだけ雨が降らんでは。」「田んぼは、一滴の水もなくなった。」「稲が枯れ始めた。」「山口川の水も流れなくなった。」「誰かが、おかしな病気で死んだそうだ。」
とうとうこの年は、米はほとんどとれず、不思議な病気が村中に流行りました。」
後半につづく