「せとの昔話」から『おでく』の続きを
それから、何年か過ぎました。日照りが続いた年や、何日も雨が降り続いて山口川の水があふれ、田畑や家が流されてしまった年もありました。
「不思議な病気がはやるし、困ったもんだ。」「村がだんだん貧乏になっていくのは、甚五郎の祟りじゃろうか。」「そうかもしれん。」「そうだ。きっと甚五郎の祟りじゃ。」
村人たちの間に甚五郎の祟りだといううわさが、いつの間にか広がっていきました。
「甚五郎の願いをかなえてやろう。」「甚五郎を猿投神社へ参りに行かせてやろう。」
村人たちは、早速相談しましたが、良い考えがなかなかありませんでした。
ある老人が、
「甚五郎に似た人形を作り、その人形を馬に乗せ猿投神社へ参ったらどうだろう。」
と言いました。「それは、良い考えだ。」と、他の村人たちも賛成しました。
しかし、この辺りに人形を作る人がいませんので、遠い都で作ってもらいました。
やがて甚五郎に似た人形ができてきたので、村人たちは甚五郎の人形を馬に乗せ、猿投神社へ参りに行きました。
それから、あの不思議な病気も水害もぷっつりと起こらなくなりました。作物もよくとれるようになり、村はだんだん暮らし良くなりました。
菱野のおでくさんといって、甚五郎の人形を馬に乗せて村を練り歩くお祭りは、今でも菱野で行われています。
お話は以上です。