先日は公民館で歴史講座が開かれた。申し込み期日はとっくに過ぎ満員だったが、無理をいって参加させてもらった。瀬戸市の文化財課の佐野元氏の講演だ。菱野地区に残ているのおでくという祭りだ。知ってはいたが具体的には知らなかった。オマント(馬の塔)というお祭りは龍泉寺や猿投神社を中心に瀬戸でも南部で行われてきた行事だ。尾張旭では棒の手でも有名になっている。
講師の先生は、小牧・長久手の戦いから『菱野のおでく』を説明してくれた。おでくの正体は、梶田甚五郎という秀吉勢の武将なのだ。この若武者は命を受けて、家康側の岡崎を攻めるために小牧城から戦勝祈願で猿投神社に行く。その途中に菱野村で村人に誤って?殺される。その後、飢饉や病気がおきたため、村人は祟りを恐れたんだろう。伝説とオマントが合体して菱野地域のこのお祭ができたのかもしれない。
今年の10月6月11日に3年ぶりに『菱野のおでく警固祭』として、火縄銃や棒を持った地域の人たち(警護隊)に守られながら菱野熊野社に奉納された。通常の郷祭りとは異なり、飾り馬の標具として人形の「おでく」を載せている馬で村を回り最後に神社に行くのだ。
で見てもらうと分かりやすい。
次回の12月初めの講座で、瀬戸のお城についての話が聞ける。楽しみだ。