setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言521 ベルト道路?

 木曜日は、町内の先輩方と集会所で集う。お喋りをし、グランドゴルフ、麻雀、卓球などをして交流するのだ。昔の話が話題になる。

 ある男性から、ベルト道路なる不思議な言葉が出た。聞くと中学校の通学路の事だった。統廃合でもう無くなった本山中学校の通学路の名前だった。

 彼が通っていた本山中学校は、当時は窯神神社より北にあり、良質な粘土が採れるため、学校の周りは鉱山となっていた。東側から学校に行くのに鉱山の中を通っていた。ある日突然通れなくなることもあったようだ。

 道幅は約2m、両側は谷になっていて尾根の部分が長くベルトのように続いている。長さは何と200m~300mもあったようだ。谷から吹きあがってくる風で女生徒のスカートが『おう!モウレツ』状態になることがあったと、懐かしそうに当時の通学路のことを解説してくれた。

 なぜこんな通学路ができたのか、理由は簡単。瀬戸の焼き物の最盛期には粘土を掘っても掘っても足りなかった。昭和26年(1951年)に西印所(にしいんぞ)に瀬戸市の4番目の中学校として開校した本山中学校。ベルト道路は、昭和42年(1968年)まではあったようだ。

 本山中学校は、27年後の昭和53年(1978年)に道泉町に移転した。当時の学校は現在は粘土鉱山として瀬戸のグランドキャニオンになっている。学校の統廃合で移転した先の道泉町で、本山中学校は歴史の幕を下ろした。令和になり小中一貫校のにじの丘学園に変わって4年目。鉱山の中のベルト道路を歩いて通っていた中学生は、今ではバス通学。時代は変わった。

 にじの丘学園は、瀬戸市の一里塚町につくられた。5つの小学校と2つの中学校が統合された学校だ。本山中学校の元の校舎は民間の経営でソラン学園という名前として利活躍している。