setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

6月23日は沖縄慰霊の日

 今日、6月23日は、沖縄での戦闘が実質的に終わった日だ。一般住民約9万4000人、軍人・軍属2万8228人の計約12万2000人が亡くなったという。兵隊よりも民間人のほうがはるかに多い。県民の4人に1人が犠牲になった。テレビで少しは話題にするだろうか?年々過去の出来事として扱いが小さくなっている。

 今日の中日新聞には、『沖縄戦と特攻』と題して、特集が組まれていた。特攻とは、体当たりのことだ。爆弾が当たらないので人間の操縦で敵の戦艦や空母などに突っ込むのだ。当然操縦士は死ぬ。

 昭和19年6月に海軍の会議で具申(上役に申し出ること)とあるが、偉い人たちの中だけでのこと、作戦を考案した幹部はだれも出撃しなかったという。特攻兵器用に開発された物の中で有名なのは人間魚雷『回天』、高速ボート『震洋』、人間ミサイル『桜花』などが有名だ。開発には時間がかかる。特攻兵器として使われたのは多分既存の零戦だったんだろう。重たい爆弾を搭載させて体当たりをした。しかしベテラン操縦士どんどん減っていく中で、特攻の任務を遂行するのは学徒動員などの20歳前後の若者に。未熟な操縦技術で体当たりをする。

 記事では、沖縄戦から終戦までの特攻の命中率は7.9%だという。上のグラフからみると、沖縄戦だけで特攻の戦死者が陸軍海軍合わせて2,600人、特攻機が1,700機以上。

    

 「特攻機パイロットは一器械にすぎぬ」「理性をもって考えたなら(体当たりは)考えられぬこと」特攻で22歳で亡くなった上原氏が残した言葉だ。ネットで調べると最年少の特攻隊員は17歳だった。