setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

㊱怖い話part3

 職場の先輩に聞いた話だ。彼が地域の青年団に入っている頃、昭和30年頃だと思う。
 彼は田舎の村に住んでいた。青年団の仕事の中に、墓掘りがある。当時は火葬ではなくまだ土葬だ。誰かが遺体を埋葬する穴を掘らなければならない。その仕事を青年団がすることになっている。
 お墓の位置の区画ははっきりしていない。墓石もはっきりしない。葬式の前夜に数名の若者が酒の勢いで掘る。遺体は桶に入れる。だから深さは2mちかくいる。地面の中には先客がいる。墓地は昔から同じ場所にある。何百年も前から遺体が埋められている。そこを掘れば、、、。

 やはり怖かったようだ。飲み会の席で、真剣な顔をして話してくれた。
 

㉟小学校時代、銭湯での思い出

 最近、昔のことを思い出す。小学校時代だ。
 家に風呂がない家はまだ多かった。夏の暑い日は、夕方に行水といって、土間や庭(らしき隙間)にタライを置いて水をはる。現代のビニルプールと思えば分かりやすい。夏場はこれが風呂がわりだ。
 普通は銭湯行く。千代の湯という銭湯だった。いつもといっても3日に一度しか行けない。

 銭湯でのことだ。湯船につかっていると、前にいたおじいちゃんが立って湯船のへりに手をついてじっとしている。その後ろにいる自分は、自然と両足の間にあるたらーんと下がった物を見ることになる。

 そんなことを言いたい訳ではない。最近自分も同じ姿勢をとることが増えてきた事に気がついた。風呂で急に立ち上がることで、立ちくらみになることがあり、まずワンクッション入れてから立つようになった。血圧をコントロールできなくなったのだ
 立派に自分も年寄りの仲間にはいれたのだ。

 その時代は、風呂屋の番台の頭の上に、男湯女湯どちらからもみえるようにテレビが置いてあった。力道山や「君の名は」が始まると湯船が空になったのは兄の時代。自分の時代は名犬ラッシーが走り回っていたような気がする。大野伴睦(おおのばんぼく)という有名な政治家がいた。愛知県の出身だと思っていたが、調べると岐阜県山県市伊自良の出身だ。美濃33観音巡りで訪れた地だ。身近かな人になった。総理大臣池田勇人と同じ時代だ。彼らと一緒に、テレビばかり見ていると一億総白痴になるという言葉が浮かんできた。
 

㉞満洲(満州)

 この頃、満洲という言葉が自分の中で暴れている。自分の父親の若かりし時代を追っているうちに、自分の両親と、60年以上前の幼なじみの両親と同じ時間、同じ満洲国で暮らしていたことがわかった。そして敗戦で同じように乳飲み子を抱えて、違う民族の人々に時には襲われ、時には助けられたりしながら、博多まで一年以上かけて逃げてきた。

 同じ様な体験をしてきた人とその子どもがすぐ近くに住み、何も知らずに友人となっていた。
 60年以上経ってそのことを知った。そのきっかけは55年ぶりの小学校の同窓会だった。この友人は5年生で転校していた。普通なら出会うはずのないのを、結びつけたのはM君だ。捜し出し連絡をとっていたので再会できたのだ。同窓会で昔の面影を探した。やっぱりN君だと思わず言葉にしていた。同窓会では、いろいろな友人たちを見ながら、誰だったかなと名簿を見て、子どものころのかすかな思い出を探す。
 N君は両親が満洲の引揚者と言っていたことを、その時はうちと同じなんだと思いながら軽く聞き流していた。
 
 父親は、満洲で満鉄の機関士だったということは両親から聞いてはいた。でも具体的なことは何も知らない。今年3月にちょっと読んでみようと買った満洲を特集した歴史の雑誌があった。自分の父親や母親について知らない。母親については施設に見舞いに行った折に、少しは聞いて、ノートにメモしていた。でも満州のことはあまり聞いてない。

 雑誌を読んで、最近知ったかぶりをしてN君に連絡入れた。なんと彼は父親の体験を全て記録に残していた。ネット上に公開していた。すぐに読んだ。
 二つの家族で、大きく違っていたのは体験をことあるごとに伝えていたことと、反対に何も語ろうとしなかったことだ。どちらが正しいとかではない。きっとどちらも考えられないほどのすざましい(正しくはすさましい)体験をしたんだろう。

 知った以上。今自分ができることは、80年前当時30歳前の夫婦が満洲という国によって翻弄され続けたことを他の人にも知ってもらうことしかない。
 リンクの貼り方がまだわからない。勉強あるのみ。はてなブログの使い方のページで学ぼう。でもhtmlって難しそう。年はとりたくない。 
 早く読みたい方は、行雲流水 満州 で検索すると見ることができる。リンクが何とか貼れました。心も晴れました。(7月30日更新)

㉝貸本屋

 小学校時代、一番の楽しみは漫画と駄菓子だった。とくに漫画は、近くに小林さんという駄菓子屋があり、今のコミック本みたいな一冊にまとまった漫画を借りた。確か5円だったと思う。ロボット三等兵や白土三平の忍者物があった。珍しいものとしては、鉄人28号の番号違いで17号とか18号とかがあったように思う。ネットで調べてはいるが出てこない。

 月刊誌もたくさんあった。少年とか少年画報とかがあり、10大付録とか、正月号になると20大付録などけっこう派手だった。
 月刊誌はアカヤ(漢字は?)さんに行って借りた。本誌が10円で、付録として小さめな装丁の本があり5円だった。この付録は本誌の漫画のつづきが載っている。お手伝いをして小遣いを貯め、何とかこの付録を借りる。本誌の内容は友だちに聞き、そのつづきを楽しみに読む。大人は漫画なんかと言ってバカにしたが、子どもにとっては夢の世界だった。漫画は、みるのではなく読むのである。最後につづくとあり、また、そのつづきの先に何があるかまた妄想の世界に突入する。
 鉄腕アトムが好きか、鉄人28号が好きか、友だちの間で言い争いもあった。自分は当時鉄人派だった。

 今でも古本屋に行くと漫画コーナーは必ず見る。再販物しかないが昔の漫画があると買ってしまう。
 今のアニメと大きく違うのは、漫画の持つスケール感が大きい。夢をみんなが持てた。そして、キャラクターがみんな個性を持ち、それぞれ勝手に暴れていた気がする。今のアニメは、絵はキレイだがあまりにもいい子ばかりのキャラクターになっている。

㉜今日の雲

 朝早く、5時前にラムに起こされた。時々、二階のベランダに出たがる。とても真夏とは思えぬほど涼しい風が吹いている。ウグイスやイソヒヨドリが気持ちよく鳴く。
 今日は、朝から面白い雲に出会った。デジタルタワーの後ろにまっすぐ湧き上がる雲だ。

 さらに夕食後、二匹のネコと散歩していると、西の空遠くに不気味な雲の存在がある。たぶん普通の現象なんだろうが、途中でカメラを持ちに行った。公開40分前の現象だ。
 異常現象が多い今日このごろ、空をもっと観察しよう。

㉛息子が熱を出す

 わが町も連150人前後の陽性者がでている。いつかは自分だと思っていたら、仕事から帰ってきた息子が、なにか変と言いながら熱をはかる。38度台だ。
 医者に相談し発熱外来に行くことにした。結果は陰性で、とりあえずほっとした。3日前の話だ。

 ニュースをみていると、PCR検査所が満員だとか、検査薬が足りないとか、いい話題は出てこない。経済優先は分かるが、経済を実際に回す働き手が倒れ始めている。優先したい経済が止まってしまうという皮肉な結果が生まれている。結局は何もせずに自然に収まっていくのを待っているんだろう。それより国葬が大事なんだ。 カルト集団との関係を否定することで必死なんだ。今のままだと陽性でも働きなさい!と言われそうだ。

 最低賃金がいまだに930円と聞き、びっくり。ネコの砂ですら、この1年で400円から600円台に上がっている。連日のように値上げのニュースがされる。物価が短期間に高騰している。
 経営側は全く上げようとする気配がない。長年、一時金だけでごまかしてきた。ベースになる給料は減っている。労働者側、いい加減にもっと強くなれ。御用組合と言われても仕方がないのか。労働者側の代表者も、高そうなスーツ姿でテレビに映っている。会場には運転手付きのベンツで来ているんだろう。

 もし、コロナにこのまま感染し続けたらと思うと、ぞっとする。最後にはすべて国民の責任なんだと言うに決まっているような気がするのは自分だけ?
 どこも行けない我がPHEVは、今は、家で静かに寝ている。
 

㉗観音巡り 番外編

 3月に尾張33観音26番札所宝泉寺を訪れたとき若い修業僧にすすめられ、4月14日に祥雲寺に行った。お釈迦様の誕生日と兼ねて観音講を開催していた。住職と息子さん、奥様が対応してくれた。参加者は自分以外は上品野の方。皆さんマスクをしているのでどなたかは全然想像もできない。
 羅漢供養会200年供養の限定御朱印をいただいた。羅漢供養会は、上品野の祥雲寺、下品野の久雲寺、上半田川の吉祥寺、鳥原の浄源寺の品野にある4つの寺院で行われ、順番で行われているようだ。第3土曜日の2時から毎月観音講が開催されている。そのときに限定御朱印が500円のお布施でいただける。
 
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後ろは東海環状道路 交通安全を祈っている
< 息子さんは、宝泉寺で修行をされている若者だ。非常にきれいな声で読経をされる。2ヶ月の間にすごい成長をされていた。
 本堂には、上品野出身の長江録弥氏が作られ寄贈された夢違観音(ゆめたがいかんのん)がある。神奈川県川崎市にいて、ふるさとの上品野を思いながら作られたんだろう。悪い夢をよい夢に変える霊験があると言われる。優しい顔をしていた。

 さらに驚かされたことは、彼は若い僧侶たちと一緒に、バーチャル座禅会を開催していて、仏教布教の新しい形態を模索している。面白い。曹洞宗のお寺だけで全国に1万5000以上あると言われる。祥雲寺は、山の中のどちらか言うとへんぴな場所にある。お葬式やお墓など形態がドンドン変わっているし、檀家自体無くなっていく可能性もある。
 古い慣習のみで経営はできないと思う。変革は若者しかできない。

 彼のチャレンジ精神を応援したい。彼の成長が楽しみだ。