日本車の挑戦の軌跡として、日産車としてはブルーバードUが展示されていた。自分は初め510ブルーバードだと思っていたが、よく見ると610のブルーバードUだった。510は、1970年にサファリラリーを制し一躍世界のトップにたった日本最初の車だと思う。『栄光への5000キロ』の映画では石原裕次郎を主役として三船敏郎や浅丘ルリ子などの有名スターが出演していた。当時ブルーバードはトヨペットコロナと販売競争をしていた。この頃は自分はブルーバードのキリッとしまったスタイルが好きだった記憶がある。
鈴鹿サーキットや富士スピードウェイができ日本グランプリが開催され、国民が熱狂した時代だ。ポルシェに負けないため各自動車メーカーがレースカーを開発していた。スカイラインは当時はまだプリンス自動車が製造していた。2000㏄のスカイラインのGTが出て、優勝をする。いすゞはベレットGT−Rの、日野はコンテッサなどの開発競争に加わっていたことが懐かしい。
これは豊川(とよかわ)で廃車置場にあったトヨペットコロナだ。最近自動車保険で女優が乗り込んでいるコマーシャルで画面に出てくる。
コロナのフロント側から見た写真だ。北名古屋市の昭和日常博物館に展示されている。
古い車を旧車と呼ぶ人が今多い。でも自分たちにとってこれらの車は、手の届かないそして新しく変わっていきながら進化していた、憧れの世界の車だった。
古い車ではなく常に新しい車だった。4年毎にフルモデルチェンジをした。どう変わったのか本屋でクルマ雑誌を立ち読みし、ディラーに自転車で行きカタログをもらってきて楽しんだ。