setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言596 瀬戸市の本山中ベルト道路 その2

  本山中学校20年記念誌には、『ベルト道路の思い出』という題で文章が書かれている。当時の航空写真を見ながら、当時の文章を読むとイメージがわく。本山中学校の南側が校門だろう。西側から北東に通っている道が品野に抜ける道だろう。品野全宝寺から道の駅の裏を通っていた中馬街道だろうか。

1960年代の深川周辺

 記念誌の文章から一部抜粋したのが下の文章だ。

 ・・・背戸側方面と窯神方面の交点から、幅2mぐらいの道路が校門まで一直線に続いていた。・・・道は急上昇し、あえぎあえぎ登ると、ゆるやかなスロープとなり、また小山を越えて最後の関門を登りきると・・・校舎を一望に眺めることができた。その急な坂道を下ると学校についた。その道路を名づけて『ベルト道路』と呼んでいた。2mのベルトが大・中・小の三つの軸にかかっているとおりであった。

 ベルト道路の西方に『パン山』があった。当時すでに陣屋方面から珪砂を採掘し、残された山が食パンのように浮かんでいた。当時の中学生には「ベルト道路とパン山」がさかんに絵になり、詩になって親しまれていた。・・・

 先輩方に聞くと、ベルト道路のコースやパン山の形は毎日のように変わっていたという。雨が降ると粘土に足を取られた。昔の中学生は大変だったのだ。だが、その中に楽しいこともたくさん発見していたんだろう。