地域の先輩と喋っていて、ベルト道路という名前が出てきて、自分なりに調べ始めた。瀬戸市の本山中学校の通学路にベルト道路なるものがあった。昭和30年ころから40年代にかけて深川小学区から通う生徒は粘土鉱山の中を通ったと言う。
いろいろな方に話を聞きながらどんな道なのか調べてきた。そんな中、本山中学校の20周年記念誌を見ることができた。
20周年記念誌に、昭和36・7年に書かれたんだろう『10周年を迎えた通学道路』という詩が載っていた。
十年目に私がふんでいる道
赤土と粘土と砂と・・・・
よく変わる山の形
どれだけの人によって築かれた道だろう
つゆどきのどしゃぶりに
赤土と粘土はどろ沼となり
つめたい風が頬をさす朝は
さくさくと気持ちのよい霜柱をふむ
つつじの蕾がふくらむころは
話題もはずんで歩みもにぶる
名物のパン山は
いつのまにか削りとられ
まわりの鉱山はだんだん深く広くなり
人 馬 自動車が
まるでおもちゃのように動いている
(もとやま十周年記念号より)
当時のベルト道路の様子がわかりやすい。パン山という言葉が載っている。まだ採掘されていない粘土の山なんだろう。