setokouchanの日記

とうとう72歳、今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記&記録として毎日記事を書いています。

歴史散歩⑮蛍雪の学び舎 その5 水野駅

 效範小学校から再び瀬戸川に向かう。護岸に水神が祀られている。大正14年には大水で川にかかった橋がすべて流された。瀬戸川は昔から水害が多い川だ。元々は別の場所に祀られていたのか2体の水神の石塔が並べられている。

 区画整理されていない效範小学校の東側の狭い道を通って水野駅に。A氏は、駅のある南側から見たホーム下を見て、瀬戸電の歴史を語り始めた。昔の瀬戸電のホームは低い位置にあった。3回にわたって高くなっている。その変化がホームに残されている。さらに車両が2両編成から4両編成に変わったことがわかるのだ。 

 さらにびっくりさせられたことは、駅の北側のカーブの途中にホームの拡張に使われた鉄骨だ。

 使われている鉄材はレールだ。再利用だから当たり前なんだと思っていたら、A氏はなんとこの表面が錆びかかった古い鉄材を指さして、「これは1920年に造られた。しかも今話題(日本製鉄の買収)の『USスチール』製だ」と言う。そのことがこのレールに記されていたのだ。上の写真には『1920』の文字が見えるし、当たり前だが英語で書かれている。A氏は1920年ころの生まれなのか。1920年と言ったら大正時代だ。どう考えても100歳を超えている老人ではない。戦前は效範小学校に通い、戦後、瀬戸線で名古屋に通っていたんだろう。