setokouchanの日記

とうとう72歳、今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記&記録として毎日記事を書いています。

歴史散歩㉘知らなかった今村の水源 その4 清風学園と赤池の堤防

 道の歩道沿いの林の中にぽつんと一つの石碑が置かれている。「清風学園趾」と書かれている。この辺りの土地は、全国で3番目にできた少年院のとちだった。その一画に少年院を仮退院した若者のための施設『清風学園』があった。A氏は現在のやまて坂南公園の辺りだったと言う。昭和8年のことだから、本当に山の中の時代だ。今でいうNPO法人だったんだろう。戦後法律の改正もあり清風学園と言う名前はなくなったが、その業績を後世にも伝えるために碑として残されている。

 元赤池の北側から元鴨ケ池に向かう。赤池と鴨ケ池との間には堤防があった。周りは住宅が増え分かりづらくなっているが、ケアプラザの職員住宅のすぐ隣らしい。75歳の方が、「僕は昔この堤防で釣りをしていた。」と懐かしそうに話していた。A氏は、「ケアプラザの職員住宅の西側にまだ残っている。」人気のあった遊びで多くの子どもたちが集まったと言う。西側の住宅地との境目にそれらしき段差が残っていた。

 埼玉大学の今昔マップには昔の航空写真と現在の地図と比較することができる。大変便利な機能だ。左半分は現在の地図、右半分は1990年頃の航空写真だ。東山小学校は昔は鴨ケ池と言う大きな池だった。昭和47年(1972年)に效範小学校から分かれてきた小学校だ。1990年頃は鴨ケ池の跡地に運動場の南側にプールがつくられていた。今はこの地の小さな池に鴨ケ池という名前が残っている。