安城市歴史博物館の『地震と災難』の冊子には、安政東海地震による伊勢湾の災害はあまりふれてなく、「油ケ淵」の次は「志摩・南伊勢・東紀州」(三重県)になっていた。安政東海地震は静岡の各地は震度7、飛島村は6強、名古屋南部や愛知県の多くは6弱だ。名古屋周辺での被害は少なかったのか。ネットで調べると歴史地震記録に学ぶ防災・減災サイト(愛知県防災局防災危機管理課)には安政東海地震の名古屋での被害が次のように掲載されていた。
『嘉永7年(1854)安政東海・南海地震では、建物の全壊・半壊、堀の破損・倒壊、石灯籠の倒壊のほか、天白川の破堤で大騒動になったとも伝えられている。』
『沿岸部を襲った津波は、堀川を逆流して尾頭橋あたりまで達し、堤防を越えて堀川以西一帯に浸水しています。大江新田(滝春町付近)・当栄新田(南区加福町付近)・甚徳新田(南区船見町付近)・豊宝新田(南区本星崎町付近)でも床上まで浸水しています。』とまとめられていた。
また、「みえ防災・減災アーカイブ」に木曽三川すぐ西の桑名市での安政東海地震の被害が書かれていた。
先日(22日)に桑名市の徳蓮寺に行って上の写真の碑の内容を見て、安政の東海地震の被害があったかどうか確認したかった。「みえ防災・減災アーカイブ」のページにあった写真だ。結局たどり着けなかった。再チャレンジしないといけない。1586年に発生した天正地震で木曽三川周辺は大きな被害を受けた。安政東海地震でもきっと被害記録があるだろう。