setokouchanの日記

とうとう72歳、今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記&記録として毎日記事を書いています。

三河地震 一色学びの館④ 学童疎開その2

 昭和20年1月13日午前3時38分に発生した三河地震。一色学びの館では『三河地震から80年 地震と戦争』の企画展が開かれていた。


 

 パンフレットにのっていた学童疎開名古屋市から多くの児童が西尾氏に疎開していた。もっとも犠牲者が多かった大井国民学校は、名古屋市立平和小学校(中区)のこと。江西(えにし)国民学校は、名古屋市立江西小学校(西区)、明治国民学校名古屋市立明治小学校(南区)、飯田国民学校名古屋市立飯田小学校(北区)になる。

 また西尾市域以外でも名古屋からの学童疎開の児童が犠牲になっていた。碧海郡(今の安城市から碧南市にかけての地域)だ。堀田国民学校(今の名古屋市立堀田小学校)の児童8人と教師2名、その教師の児童1名、寮母2名が大浜で、杉村国民学校(北区の名古屋市立杉村小学校)が高岡村で児童2名、伝馬国民学校(南区の今の名古屋市立伝馬小学校とは直接的な関係はないようだが同じ地域にあったようだ)が安城町(現安城市)で児童1名が犠牲になっている。

 愛知県では、学童疎開は、昭和19年3月に初等科全学年を対象に『縁故疎開』を推奨し、縁故疎開ができない初等科3年生から6年生までの児童は名古屋市学童集団疎開先一覧』が決められて7月に説明会があり、8月にはすぐ実施された。疎開先は県内郡部と隣接東海三県下。集団疎開国民学校109校の3万2千人、縁故疎開は4万6千人もいた。

 名古屋市の白壁国民学校の291名もの疎開児童が瀬戸の品野にも来ていた。俳優の天地茂さんも瀬戸に疎開していた。天地さんの母親が瀬戸の出身だったから縁故疎開になる。