タライと洗濯板はセットで各家庭にあった。おかまが電気炊飯器に、くど(かまど)がガスコンロに変わっていく中で、洗濯も電化された。
洗濯機だ。手で絞らなくてもいい。ローラーの間に洗濯した物を挟みせんべいにする。水は絞られるのだ。自分のパンツもセンベイになって出てくる。誰が考えたのか分からないが、生活革命だった。日曜日には、面白かったのでお手伝いをした。絞るのは自分だ。脱水槽が出るのはもっと後だ。
高校生の時、三重県のある島に渡った。当時その島にはまだ水道が通っていなかった。そのため、雨水を蓄えるコンクリート製の大きな水槽があった。島民は、水槽の下で洗濯をしていた。洗濯物を下に置き、足で踏むのだ。水道がなく貴重な水で洗濯をする。工夫された方法だ。
洗濯は、昔から時間のかかる重労働だっただろう。洗濯機が勝手にやってくれるとその空いた時間は別の家事が待っている。さらに家電を買うために、それまで以上に働いた。
今も昔も、国民が働かなければ税金が取れない。政治家たちは、その大事な税金をオリンピックだ、国葬だと言って無駄遣いをしている。本当にこのままでいいのだろうか?