setokouchanの日記

ついに70、年寄がPHEVで観音巡りにチャレンジ中。コロナ禍で家でごろごろが多いが。現在は子供の頃を思い出しながら妄想したり観音巡りの記事を充実しようとそれなりに奮闘中。

年寄りの戯言154 豊橋市立旭小学校(秋の遠足)

 雨が心配されたが、不思議なことに傘無しで行動できた。途中車で走った10分間は激しい雨が降ったが、店に入るころはほとんどやんでいた。

 

 さて、今日のメインになった豊橋市立旭小学校。校長・教頭先生まで休日出勤までしていただいて、校内を案内してもらった。皆が1番驚いたのは、旭小が27年生まれだということ。自分たちも同じ27年生まれなのだ。そんなことも知らなかった。

 知らない原因の中に、木造校舎の古い建物だったことがあるだろう。長い階段があり、格調高い講堂があった。

 調べると、東田小学校から別れてできた学校だ。校舎は、元々、豊橋町立高等女学校、その後、市立女子商業学校になった校舎が使われた。当時の小学校らしからぬ、格調が高かったわけだ。


 校長室で昔の先生方の写真を見ながら、この顔覚えている〜!と大はしゃぎ。松平健さんも昨年訪れていて写真とサイン色紙が飾られていた。彼は、勝新太郎の元で俳優の修行をして成功していった。

 1つ下の学年で、上級生に混じって野球や陸上で活躍していたのだ。運動神経のいい子は、何をやらせても上手だ。子供の頃から、スーパースターだった。自分の家のすぐそばに住んでいたといっても誰も信じてくれない。

 6年のときは新校舎になり、カラーテレビが教室に入った最初の小学校だ。この年、東京オリンピックが開かれ、先生も一緒になって応援した。

屋上から見た運動場

 運動場は広く、放課になると子供たちが場所取りのために飛び出していく。なんと当時は800人近くの子がいたのだから。団塊の世代が通っていたころは1300人以上の児童がいた。プールは2年生の時にできた。右側の大楠は大きく、裏側にある神社のためか少し不気味だった気がする。屋上で、石巻山を背景にクラス写真を撮ったことを何人かの人が記憶していた。自分は全く記憶にない。いつも周りについて行動していたからだ。

 

 豊橋市立旭小学校は、自分たちにとって、特別な存在なのだ。今ではクラス数が減ってほぼ学年ひとクラスになってはいるが、当時のまま「いろは」がクラス名に使われている。