集団就職、もうそんな言葉を知っている若者は少ないだろう。自分も久しぶりに聞いた。
久しぶりに町内の年配者が集会所に集まり近況を話し合った。10数名集まったが、中には何と熊本県出身の方が2人もいた。1人の女性は天草から集団就職で瀬戸に来た言われた。60年も前だ。瀬戸は好景気で、作れば作るだけどんどん売れた時代だった。
給料日は15日と月末。次の日が休みだった。給料日の夕方になると、宮前(深川神社前)にはたくさんの屋台が並んだ。瀬戸の人は宵越しの金は持たないのが粋だった景気の良かった時代の話だ。
瀬戸物の製造の会社は、就職担当者が地方の高校に人集めに回っていた。天草から来た方は瀬戸駅近くの工場に就職したようだ。
我が家の近くにあるアイトーは、新潟からの集団就職の女の子が多く、当時は彼女たちを窯姫(かまひめ)と呼んでいたと、地域の先輩から聞いたことがある。働いてくれる人は宝物だったに違いない。
瀬戸の経済は多くの集団就職の人たちが支えてくれたのだ。