setokouchanの日記

とうとう72歳、今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記&記録として毎日記事を書いています。

歴史散歩⑰政だワッショイ その2瀬戸八景

 瀬戸川に流れ込む陣屋川に架かる橋が追分橋だ。この橋の欄干に8枚の陶板が貼られていた。A氏の説明では、瀬戸八景が呉須で描かれている陶板だと言う。『禅長庵暮雲』『祖母懐春雨』『深川新樹』『馬城郭公』『古瀬戸晴嵐』『宝泉寺晩鐘』『森橋納涼』『中嶋秋の月』の8枚。A氏の説明を聞きのがしたのでわからないことばかりだ。瀬戸ペディアで調べたが、読めない漢字ばかり。

 禅長庵は明治14年に刊行された「瀬戸八景集」の発行の中心となった加藤景登が藤四郎山につくった庵の名前。陶祖公園(藤四郎山)の加藤四郎左衛門景正(藤四郎)の伝記が碑面に書かれている日本最大級の陶製『六角陶碑』が描かれていた。

 先日書いた「青銅の基督」のロケ地の一つの宝泉寺も描かれていた。
 下の写真の『森橋』は追分橋の一つ上流(北)の橋。中馬街道の起点となる橋だ。森橋あたりが瀬戸村と今村の村境でもあったようだ。陣屋川は水量が思ったより多かった。納涼とあるから昔はきれいな川だったんだろう。今は清流といえる流れではないのが残念だ。

 追分橋を西に戻り、吉田橋へ行く。