setokouchanの日記

とうとう72歳、今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記&記録として毎日記事を書いています。

懐かしい昭和(博物館)

ジャンボタクシーで秋の遠足に①

今日は、町内の仲間と一緒にジャンボタクシーで秋の遠足へ。目的は尾張旭市文化会館で開催されている水野ア一氏の作品展『名鉄瀬戸線と版画の歩み』だ。せっかく行くのなら、尾張旭の城山のコスモス畑にも寄ろうと考えた。 天気はやや悪い。青空の下で見るコ…

水野ア一氏の『名鉄瀬戸線と版画の歩み』展始まる

尾張旭市文化会館で始まった。水野ア一氏は、瀬戸で有名な版画家だ。瀬戸の昭和の風景や戦時中の子供時代のひもじい思いを絵にしている。やはり『せとでん』から始まる名鉄瀬戸線の電車や昭和の駅舎の版画が有名だ。 100点以上の作品が並んでいる。ぜひ自分…

豊橋市博物館『市電』② 広小路と丸物

電車通りを間違えて覚えていた。駅前から豊橋郵便局前(新川電停)で北に曲がり西八町電停の北を東に曲がる。国道1号線の真ん中を市電の線路が通っている。東八町で1号線と分かれ東田坂上方面に向かうのが自分の思っていた市電の通りだった。 今回の市電の…

豊橋市博物館『市電』①東雲通り

企画展『豊橋の市電と渥美線』に行ってきた。16日で終わってしまう。 豊橋で生まれ豊橋で育ったが、豊橋のことをほとんど知らない。子供時代しか知らないのだ。昭和の30〜40年代前半までは遊ぶことで手一杯。瀬戸に就職し今になる。同じ町内に子供時代の松平…

豊川市桜ヶ丘ミュージアム④豊橋空襲と額ビル

竹生先生の作品には、当時の様子をスケッチブックに絵にそして文章としてまとめられている。それには『消えない記憶』という題が付いている。忘れたくても忘れることのできない豊川海軍工廠の大空襲や豊橋の空襲の記憶を、文にし、絵にしていた。 1945年6月2…

安城市歴史博物館へ⑦猫又

猛暑続きの8月もやっと終わりに?明後日からは暦の上で秋になるはず。昔から天変地異があると祟りだと考える。台風10号、何もなければいいが。 安城の博物館で歌川国芳のネコの浮世絵。楽しい。説明に猫又は『肉食獣の猫はもともと油が好きなので、行灯の魚…

豊田市博物館へ③ 狙いがわからない

炎天下のガラスのトイレで暑さを我慢して利用した。その後、90億円もかけてつくられた豊田市博物館へ。 豊田市民は無料だが、他は300円。税金を納めていないのだから仕方がない。展示は一つのホールでまとめられている。基本的にはホールの中央に10mほどの四…

PHEV安城市歴史博物館へ⑥ 化け猫

『ごろごろまるまるネコづくし』展では、化け猫のことが一つのコーナーにまとめられていた。 説明には、『中国では猫鬼、金華猫(きんかびょう)といった妖怪猫が想像され、日本に伝わり、化け猫や猫又が登場する妖怪伝説が生まれた。多くは長生きした猫が妖…

豊川海軍工廠展(桜ヶ丘ミュージアム)①

前から桜ヶ丘ミュージアムで『豊川海軍工廠展』という展示会があることは知っていて、関心があった。 最近パンフレットを手に入れ見たら、絵の作者の名前が恩師の名前だった。『竹生節夫』しかし、自分が覚えていた読み方とは違う。自分は『せつお』と覚えて…

PHEV豊田市博物館へ② ガラス張りのトイレその2

豊田市の郷土史のまとめがしてあるはずだと思い、4月に開館した豊田市博物館へ行ってきた。最初に見たのがガラス張りのトイレ。 このトイレのことを友人に話したら、何と透明なガラスで出来たトイレが東京にあると言う。写真も送ってくれた。 渋谷の公園に20…

PHEV 豊田市博物館へ① ガラス張りの外トイレ

少し時間ができたので、新しい豊田市博物館へ行ってきた。ナビで名前を入れても出てこない。豊田市美術館でヒット、まずそこまで行こうと適当に考えて出発。名鉄豊田市駅前を通南に進み、国道155号の広い道を通過さ、次の信号(神田町一丁目)を西に曲がる。…

いろはにほへと・・企画展ネコづくし番外編

安城市博物館の特別展『ごろごろまるまるネコづくし』だ。自分は変なところが気になってしまう。いろはにほだ。ネコに関わる絵や浮世絵(版画)などの展示物がテーマごとに『い』から始まって『す』で終わるようにまとめている。 自分にとって『いろは』は、…

PHEV安城市歴史博物館へ⑤ 国芳と化け猫

鳴き声もなんとなく人の声と間違えやすい。ネコと散歩に出ていると近くの家で赤ん坊が泣いていると、ネコたちは耳を立てて聞いていることがある。音程がよく似ているのだろう。甘えたいときは、鳴き声を色々と変えながらすり寄ってくる。妻が忙しくて相手に…

PHEV安城市歴史博物館へ④ 猫飼好五十三匹

安城の博物館での特別展、全て猫である。その中に、東海道五十三次を猫飼好五十三疋(みゃうかいこうごじゅうさんびき)を猫で五十三次を描いていた。宿駅の名前をもじっているのが面白い。 東海道五十三次は、愛知県に入ると34の二川から吉田・御油・赤坂・…

PHEV安城市歴史博物館へ③招き猫

瀬戸では、来月9月には『瀬戸物まつり』に続いて『招き猫まつり』がある。今年は、9月28日29日だ。特別展では第4章のおもちゃ絵猫に『招き猫』の説明があった。 招き猫の由来には諸説あるが、有力なのは、瓦や日用雑器などの焼き物を生産していた江戸浅草の…

企画展『戦時下の一宮』⑧少国民その1

展示の1つのコーナーに『小国民と呼ばれた子供たち』として、国民学校の生徒たちは『年少の国民』という意味の『小国民』と呼ばれていましたと説明がされている。恥ずかしながら『少国民』なる単語を実をいうと知らなかった。(説明文には小と少の両方の字が…

PHEV安城市歴史博物館へ行く②猫の表情

暑い中、安城へ。 特別展の入り口には、丁寧にも着飾ったネコがお出迎え。併せて中は撮影禁止だと念を押された。会場には浮世絵師歌川国芳の作品を中心に、147枚ものネコの浮世絵が展示されていた。ネコだけで1000匹以上はいたんだろう。小林清親の描いた『…

企画展『戦時下の一宮』⑦ 子供と戦争

戦時下の子供たちは、日常全てが戦争とともにあった。ものごころつくころから、「戦争ごっこ」で青美、「将来何になる?」は『海軍大将』・『陸軍大将』と答えることが当然だった。 展示中の双六は、空襲警報への備えデ、隣組や町内で何をしないといけないか…

企画展『戦時下の一宮』⑥ ヨイコドモ

横山隆一氏の『フクチャンと怪人物』という紙芝居が展示されていた。フクチャンは自分たちでも知っている超人気漫画だ。戦争とは全く関係のない漫画だと思っていたら、なんと国策紙芝居として描かれていた時期があったのだ。国策紙芝居と検索していると『フ…

企画展『戦時下の一宮』一宮空襲

企画展『戦時下の一宮』を見学に一宮市博物館に。一宮での本格的な空襲は、昭和20年の7月だった。12日に20機の28日には260機ものB29空襲が焼夷弾を落とし一宮の市街地を焼き払った。8割以上の家が燃え727名もの死者が出た。 博物館では、小島久弥氏の『私た…

企画展『戦時下の一宮』⑤ 敵性語

戦時下で『ゴールデンバット』は無くなった。理由は、敵性語だからという。 「敵性語」とは、敵対している国で一般的に使用されている言語を指す言葉です。日本では、昭和12年(1937)に始まった日中戦争で、イギリスやアメリカと日本が対立すると、英語に由来…

一宮市博物館に鈴木八郎氏が

一宮市博物館の企画展を見学して、常設展示もと思い、館内を歩いた。基本的に一宮市の地域の歴史をまとめている。一宮は繊維の町で有名だということは知っている。自分の知り合いも一宮に住んでいる。戦前戦後は瀬戸と同じように経済が最高になる。1ドル360…

一宮市博物館『戦時下の一宮』④国策スローガン

『隣組』の歌で分かったことは、戦意高揚の手段として言葉を利用していること。その一環として国策スローガン(標語)の存在が大きそうだ。日本国民としてあるべき姿をスローガンとして何度も何度も頭にたたきつけられていたんだろう。 昭和時代、交通安全の…

企画展『戦時下の一宮』③ 隣組

一宮市博物館の企画展『戦時下の一宮』のパンフレットには『隣組の歌』の1番の歌詞が載っていた。 とんとん とんからりと 隣組格子(こうし)を開ければ 顔なじみ廻して頂戴 回覧板知らせられたり 知らせたり とんとん とんからりと 隣組あれこれ面倒 味噌醤…

過去への旅⑦ハエとの戦いだった昭和

昭和32年の東海民生新聞の記事だ。ある小学校で『ハエ取り競技』なるものが行われたという。全校で25000匹ものハエを取った。目的は「ハエによる衛生環境問題を児童に考えさせるものだった。昭和30年代というのは、不衛生の時代だった。下水道が完備されてい…

企画展『戦時下の一宮』番外編

先日町内で先輩方と話していて、結婚でお菓子をまくのに、瀬戸ではお嫁さんの実家の前で行った話が出て、一宮に長女が嫁いだという先輩は、嫁ぎ先の家の前で菓子投げをしたと言う。一宮の菓子投げは、三十数年前のことだ。どちらも名古屋の西区の菓子問屋で…

企画展『戦時下の一宮』②

国策紙芝居だ。フクチャンは自分でも覚えているくらい有名なキャラクターだ。戦後は平和のために描かれたが、戦時中は、戦争のために利用されていたのだ。 「国策紙芝居」とは、戦時中、戦争は正しいことだ、国民全員で敵を倒そうという国民の心構えを植え付…

企画展『戦時下の一宮』①

先日、一宮市博物館で『戦時下の一宮』という企画展が開催され早速行ってきた。 展示の最初にあった絵だ。 何を意味しているのかが不明だった。確かに下には戦時中を表す絵がケースに入って展示されていた。当時の国民学校で使われた図工の教科書が展示され…

芸術家と芸術家

瀬戸市の文化センターで手嶋譲二氏の「懐かしき昭和の瀬戸」という写真展が開かれている。昭和30年第40年代の瀬戸がテーマだ。版画家の水野ア一さんと町内の御婦人方を誘い早速出かけた。 会場に入ってまず感じたのは、どの写真もきれいなのだ。手嶋氏は若い…

キロバイト知らないでしょう

久しぶりにパソコン屋に行った。昔みたいに大須ではない。我が家の近くには昔コムロード今はアプライドというパソコン屋がある。しばらく前まではグッドウィルもあったが数年で閉店した。どちらの店名も懐かしい。 半世紀近く前にマイコンから始めて、DOSな…