毎週木曜日は、町内の先輩方と『元気だよ〜』と顔を合わせる。昨日一昨日は寒く冷たい雨が降っていたが、今日は朝から青空が出て気温が上がっている。グランドゴルフを楽しみ、集会所で色々な話をする。体調を崩しがちな方や歩くことが不安になっている方も…
瀬戸にもたくさんのお地蔵様がみえる。その中に『瀬戸の三地蔵』と呼ばれる三体のお地蔵さんがある。堀出し地蔵と郷の佐吾八地蔵と南新谷の地蔵だという。堀出し地蔵は『中馬街道の歴史を歩く会』その7とその8で取り上げたので、郷と南新谷(みなみしんが…
今日3月5日は、啓蟄だ。もう自分の体は花粉症全開、春本番になるはずだった。しかし花粉症は全開なのだが、寒い。やっと長い冬を越えて春だと思ったら、ど寒かった。アメダスで調べたら、今日の最高気温は午前1時の7度、最高気温を迎えるはずの午後も5度台だ…
明治23年に深川神社の境内で、中馬街道の竣工式が行われ、瀬戸村は、昔からの起伏のある狭い街道ではなく、他の村と協力して新しい街道づくりを始めた。森橋を起点とした中馬街道、森橋から西の瀬戸街道(旧)を結び名古屋とい信州飯田を結ぶ街道だ。瀬戸駅前…
今日の瀬戸蔵は、4mのひなミッドの片付けに入っていた。800体もあるのだ。昨日まで瀬戸は『お雛めぐり』をしていた。終わればすぐに片付けに入る。 4階から見たら殆どなくなっている。係の人は大変だ。お疲れ様です。ありがとう。
瀬戸村と今村との境、中馬街道の呼び名が正式に決まったこの街道の起点が森橋。歩く会は品野に帰るバスの時刻があるため今回はここで終了。次回は何をするんだろうと考えながら別れた。 自分は、折角なのでついでに、今村の人達が通った映画館が追分にあった…
瀬戸の窯神には無風庵なるものがある。この頃あまり話題にならないが、瀬戸の地に新しい芸術をもたらした人。だけどそれ以上のことを知らないのが恥ずかしい。瀬戸との接点を少しでも知りたくて碧南の藤井達吉美術館へ。 地階(駐車場のすぐ前)に藤井達吉さ…
先日、パルティ瀬戸の地下駐車場に車を止めて、道泉地区を歩いた。尾張瀬戸駅北側の通りには昔から瀬戸物の問屋さんが並んでいた。磁器の神様加藤民吉の生誕の碑を見てから西に向かう真っすぐの道を進み、北側に上る狭い道を歩いて行く。自分の頭の中では小…
十三塚地蔵堂を地道沿いに南下すると国道155号線に出ると、明治二十三年に制定された中馬街道になる。瀬戸街道とも呼ばれていた道だ。瀬戸街道と言っても共栄橋を通らずに追分を通って新瀬戸から根の鼻、三郷に抜ける瀬戸街道の旧道だ。追分から旧中馬街道と…
暦の上で、春。でも暑いのか寒いのかわからない。寒暖の差があり身体がついていけないのは、自分だけではないだろう。 自分のエクリプスクロスが3年になる。一回目の車検だ。篠木の三菱でお願いした。ついでに夏タイヤへの変更もしてもらった。車体のコーテ…
十三塚について瀬戸ペディキュアには、次のような話が載っている。 今から400年ほど前、長久手というところで豊臣方の軍勢3万が、1万8千の徳川方の軍勢に後ろから攻められて、みじめな負け方をした時の話じゃ。 敗れた豊臣勢の侍は、てんでばらばらに逃げた…
2月2日に範效公民館で行われた瀬戸蔵ミュージアムの元館長武藤氏に教えてもらったことの3つ目の記事になる。 宮前(深川神社前)は瀬戸の劇場や料理屋が多くの人が集まった。昭和29年に『青銅の基督』の映画の撮影が瀬戸キャニオン(粘土鉱山)で行われた。…
29名の年寄りを中心とした団体は、ここに来た頃に先頭から最後尾まで長い列となっている。ゆっくりお顔を拝見する余裕はもうなかった。写真だけ撮らせてもらった。 尾張旭の郷土の研究家の石頭逍遥氏が『瀬戸の馬頭観音』の記事には、『光背には「明治28年8…
歩く会の面々は、窯神グランドを過ぎると左に曲がり、次も左に。陣屋の道に入る。 基本的にはこの通りが中馬街道だ。道は南西方向に進む。 陣屋の道に入り400mほど歩くと、右手に赤い郵便ポストが目立つ加藤商店になる。 この加藤商店の前を斜めに入っていく…
今日は、今年最初の満月だ。というとそんなはずはないと言われそうだが、旧暦でいうと最初になる。睦月15日が新暦の2月24日になる。旧暦でいうと今年最初の満月が今日だ。別名スノームーン。地球から一番遠くを通る月だから小さく見える。 スノームーンをス…
青面金剛(しょうめんこんごう)王と記されている石塔だ。青面金剛像と言えば怖いイメージがある。青い顔で、三つの眼があり怒り丸出しの怖い顔、足元には踏みつけられて3匹の猿。昔は、奇病をもたらす鬼だったために、人々は祀ることによって災から逃れよう…
堀出し地蔵はSetopediaにはこんな話があると書かれていた。 伝承地 瀬戸市湯之根(この場所の北東)あたり? 昔、加藤治右衛門(じえもん)さんという人がいました。治右衛門さんが、ある夜、眠っていると夢の中にお地蔵さんが現れて、 「私は、昔、観音山に…
堀出し地蔵前を南下すると左手に古い大きな家がある。曲がりくねった細い道を少し進むと、きれいなつるし雛が入口に飾られている家があった。のぞいてみると一人の女性が黙々と作業をされていた。お雛様はまだ準備中で23日から公開するのぜひ見に来てくださ…
我が家の猫たちです。上がノア君。下がラムちゃんです。今は9歳と7歳半です。写真は5・6年前です。 仲の良いころがありましたが、この頃は毎日2・3回はバトル。自分を踏み台にして平気で飛び回っています。でもどこかの国と違って、すぐ停戦になります。 …
中馬街道を歩くために品野のグループが宮前から追分まで30名近くの年寄りが歩いた。2月11日のことだ。自分も参加したが、今日20日、池田通りを北上しもう一度堀出し地蔵の撮影が目的だ。 目的以外にとんでもなく自分にとって、得ることが多かった。堀出し地…
右手から左手に向けて歩いた。ひかり保育園が右手奥にある。ひかり保育園の前を下っていく道が池田通り、銀座商店街を横切って記念橋に出る。写真を撮っている自分の後ろは迷路に近い道だ。窯神神社や銀座商店街の西方面に行けるが、結構複雑だ。 堀出し地蔵…
泉町の山崩の石碑から印所街道に戻り北上する年寄り集団。(実は母親と男子中学生の親子も参加している。)しかし平均年齢は自分より高いだろう。最高齢は90歳だ。上り坂になると列は長くなる。 狭い道を通っていくとこんな目立つ看板がある。車で通ると気に…
中馬街道の痕跡を探しながら30名近くの集団は印所街道を北上し、陶祖公園方面に抜ける道に右折。すぐ右の路地を上ると左手奥に泉町の山崩を記した石碑が建っている。 昭和32年8月7日の大雨のため、瀬戸市泉町で山が崩れ22名もの死者を出した。この30年は高度…
安城市の歴史博物館では、安部朱美さんの『昭和の家族』という特別展が開かれている。今日、予定が空いたので急遽走った。 彼女が体験してきた昭和のことを人形で忠実に再現している。まず感じたことは描かれた人々の温かい心と人形の明るい表情。 自分は、…
歴史街道を歩く会は、深川神社から秘密の通路を抜けて市杵島神社に。この神社のすぐ隣りにある法雲寺へ。 山門から入って右奥に、普通では考えられない物が置いてある。陶器の梵鐘だ。高さ115㌢、直径80㌢の梵鐘だ。昭和17年に製作された。 日本は、日中戦争…
ここの資料館の一番の大きなことは、触れさせること、そして道具を使ってもらうこと。実際に体験できることで昭和を考えさせている。井戸水を汲むのに手動式のポンプがあり、子どもたちが使っているのだ。そして当時は子供が手伝わなければならないことが当…
『ちんたらやっとらんでちゃちゃっとやらんか〜!』 ちゃちゃっとやるは、サッサッとやることで瀬戸弁だ。チンタラは、意味は分かるが、妻が使うので瀬戸弁と思っていた。しかし瀬戸弁ではないようだ。反対語としてチャチャッと、があるが、瀬戸弁で『のんび…
中馬街道を歩く会の90歳を筆頭に総勢29名は、深川神社を出だしに、北へ南へそして西へ歩き追分を目指したが、途中で時間が無くなり地図の国道155号線にかかる⑪森橋でギブアップ。でもよく歩いた。80前後の方が多いのだ。アラウンドエイティの軍団が進む。 地…
深川神社、瀬戸村の鎮守の神社。村人が集まる場所だった。特別に宝物殿にも入り、重要文化財に指定されている加藤藤四郎景正(陶祖)作の陶製の狛犬を見た。その横には釣鐘が置いてある。お寺?いやここは神社だ。説明では神仏混淆の関係だという。豊川稲荷…
今日は、品野の『郷土と文化を広める会』の総勢29人の集団が名鉄バスで瀬戸へ行った。品野から瀬戸へ行くのも宮前へ行くの意味だ。瀬戸の西部(今村)に住んでいる自分も瀬戸(宮前)に行く。バカ道路の駐車場に駐車して。午前9時半に瀬戸の宮前地下街の大鳥…